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私を殺した夫へ―午前0時、死んだ妻からメールが届く
私を殺した夫へ―午前0時、死んだ妻からメールが届く
Autor: あおい 智遥

第1話 私の葬儀で、夫は泣かなかった

last update Data de publicação: 2026-10-09 08:37:19

私の葬儀で、夫は泣かなかった。

正確には、葬儀ではない。

海に落ちた私の遺体は、まだ見つかっていない。

だから今日行われているのは、「水城玲花を偲ぶ会」。

随分と上品な名前をつけたものだ。

私は薄暗い部屋のソファに座り、ノートパソコンの画面を眺めていた。

画面の向こうでは、黒いスーツを着た夫――水城拓真が壇上に立っている。

「妻は……仕事を心から愛していました」

少しだけ声を詰まらせる。

完璧だった。

目を伏せるタイミングも。

言葉を止める間も。

震える声も。

十年間一緒に暮らしてきた私でなければ、本当に妻を失った夫なのだと思っただろう。

けれど。

「下手ね」

私はつぶやいた。

泣いている人間は、あんなふうに唇をきれいに結ばない。

拓真は昔からそうだった。

都合が悪くなると、左の口角だけがほんの少し上がる。

本人は気づいていない。

私だけが知っている癖だった。

画面の中で、参列者が次々と献花していく。

会社の役員。取引先。学生時代の友人。私の部下。

泣いている人もいた。

ハンカチで何度も目元を拭っている人もいる。

申し訳ないと思う。

私は生きている。

生きているのに、彼らは私のために泣いている。

胸の奥が少し痛んだ。

そのとき、ソファ脇のテーブルにコーヒーカップが置かれた。

「見るのをやめてもいいんだぞ」

神谷輝(ひかる)だった。

黒いTシャツの上に、白いシャツを腕まくりして羽織っている。

十五年前より少しだけ痩せた。

けれど、他人を観察するときの鋭い目は変わっていない。

「最後まで見る」

私は答えた。

「自分のお別れ会なんて、人生で一度しか見られないもの」

「普通は一度も見ない」

「貴重な経験ね」

輝が小さくため息をついた。

「玲花」

「なに?」

「無理して笑わなくていい」

私は画面から目を離さなかった。

無理なんてしていない。

少なくとも、自分ではそう思っていた。

夫に殺されかけた。

ブレーキが利かなくなった車。

夜の海。

フロントガラスの向こうから流れ込んできた冷たい水。

息ができなくなり、意識が遠のいていった瞬間を、私はまだ覚えている。

事故から三週間。

小さなクリニックからこの部屋へ移ってからも、私は一歩も外に出ていない。

世間では今も、水城玲花は「行方不明」。

けれど拓真は、もう私が戻らないことを確信している。

だからこんな会まで開ける。

画面の中で拓真が頭を下げた。

拍手が起こる。

そして壇上を降りた彼の横へ、一人の女が近づいた。

白石美月。

会社の広報部。三十一歳。

長い髪を後ろでまとめ、黒いワンピースを着ている。

美月は一瞬だけ周囲を確認すると、拓真の腕に触れた。

一秒にも満たない。

他人なら気づかないほど短い接触。

でも私は見逃さなかった。

「やっぱり来た」

輝が言った。

「ええ」

「つらいか?」

少し考えた。

一か月前なら、つらかったかもしれない。

拓真のスマートフォンで二人のメッセージを見つけた夜。

結婚十年目の記念日に泊まるはずだったホテルを、夫が別の女と使っていたことを知った夜。

あのときは吐きそうだった。

でも今は違う。

「あまり」

私は答えた。

「それより腹が立つ」

輝が笑った。

「それなら安心した」

私は画面を閉じた。

部屋が静かになる。

壁の時計を見る。

午後十一時五十七分。

テーブルの上に置いてあったもう一台のノートパソコンを開いた。

「やるのか?」

輝が聞く。

「そのために今日まで死んでいたのよ」

新しく作ったメールアカウントを開く。

宛先には、拓真の個人アドレス。

件名は空白。

本文はすでに決めていた。

指をキーボードに置く。

時計。

午後十一時五十九分五十秒。

五十五。

五十六。

五十七。

五十八。

五十九。

日付が変わった。

送信。

画面に《メールを送信しました》と表示される。

本文は、たったこれだけだ。

――拓真へ。

私を殺した夜のこと、ちゃんと覚えてる?

そして最後に署名した。

水城玲花。

死んだ妻の名前で。

私は椅子の背にもたれた。

「さて」

輝を見る。

「始めましょうか」

◇

同じ頃。

自宅に戻った拓真のスマートフォンが震えた。

メールを開いた拓真は、その場から動けなくなった。

グラスが手から滑り落ち、床に当たって砕ける。

けれど拓真は、それを見ることさえできなかった。

画面に表示された名前を、ただ見つめている。

水城玲花。

ありえない。

拓真の唇が震えた。

「……玲花?」

もう一度、本文を見る。

その顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。

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